日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道 ~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~」

2017年4月28日、姫路市、福崎町、市川町、神河町、朝来市及び養父市の6市町が申請を行ったストーリー「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道 ~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~」が、文化庁により日本遺産に認定されました。
日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を有する有形・無形の文化財群を、日本の文化・伝統を語るストーリーとして文化庁が認定するものです。地域が主体となり総合的に整備・活用し、国内外へ発信することにより地域の活性化を図ることを目的とします。
>>日本遺産「銀の馬車道 鉱石の道」公式サイト
《認定ストーリーの概要》
「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道 ~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~」
兵庫県中央部の播但地域。そこに姫路・飾磨港から生野鉱山へと南北一直線に貫く道があります、”銀の馬車道”です。さらに明延鉱山、中瀬鉱山へと”鉱石の道”が続きます。
わが国屈指の鉱山群をめざす全長73kmのこの道は、明治の面影を残す宿場町を経て鉱山まちへ、さらに歩を進めると各鉱山の静謐とした坑道にたどり着きます。
近代化の始発点にして、この道の終着点となる鉱山群へと向かう旅は、鉱山まちが放ついぶし銀の景観と生活の今昔に触れることができ、鉱物資源大国日本の記憶へといざないます。

ストーリー構成文化財

生野鉱山関連遺構(生野鉱山及び鉱山町の文化的景観)
明治元年に政府直轄の鉱山となり、当時の最新技術が導入された近代化遺産。銀の馬車道の終着点で、近代化に伴う資産がまちのあちこちに残り、明治に作られた製錬工場が現在も稼働している。
朝来市生野町小野
生野鉱山町(生野鉱山及び鉱山町の文化的景観)
採掘に関わる役人や商人、鉱夫が生活した鉱山町。赤瓦の屋根や精錬の残渣を固めた「カラミ石」を用いた塀を使った建物など、当時の面影を残す風景を見ることができる。
朝来市生野町小野
神子畑鋳鉄橋・羽渕鋳鉄橋
神子畑鉱山から生野鉱山に鉱石を輸送する道路に架けられた鉄橋。神子畑鋳鉄橋は日本最古の鋳鉄橋梁として国の重要文化財になっている。羽渕鋳鉄橋は「羽渕のめがね橋」とも呼ばれた。平成7年に架橋時の姿に復元し、現在の場所へと移設された。
神子畑鋳鉄橋:朝来市佐嚢字水田1637-7

羽渕鋳鉄橋:朝来市羽渕字柳16-1
神子畑選鉱場跡
平安時代に鉱山として始まったと伝えられ、明延で錫が発見されたことにより鉱石を選別する施設になった。その大きさと最先端の技術から「東洋一」と呼ばれていた。効率よく上から順番に選鉱するために、山の斜面を利用して選鉱場が建設されている。
朝来市佐嚢1842
旧神子畑鉱山事務舎(ムーセ旧居)
生野鉱山に招かれた外国人技師の官舎として建てられた。明治20年に神子畑に移築され、鉱山事務所として利用された。
朝来市佐嚢1826-1
明延鉱山明神電車
鉱石や従業員、地域の住民を運んでいた鉱山鉄道。明延鉱山〜神子畑間を運行していた。運賃が1円だったことから「一円電車」の愛称で親しまれた。
養父市大屋町明延1184
明延鉱山関連遺構・明延鉱山町
日本一の錫鉱山として栄えた鉱山。病院や映画館が立ち並び、4,000人を超える人々が生活していた。今でも多数の坑道跡、鉱員社宅、共同浴場、映画館跡などが残っている。
養父市大屋町明延1184
中瀬鉱山関連遺構・中瀬鉱山町
日本一大きな自然金が発見された鉱山。昭和時代には日本一多くのアンチモンを産出し、優秀な製錬技術を開発。現在もアンチモンの製錬が行なわれている。
養父市中瀬816-10