大同2年(807) | 生野から銀が発見されたと伝わる。 |
(806〜810)? | 東大寺の大仏の鋳造にも明延の銅が献上されたと伝わる。 |
天文11年(1542) | 但馬守護・山名祐豊が生野鉱山で本格的に銀の採掘を始める。(銀山旧記) |
永禄12年(1569) | 織田信長の命を受け、木下秀吉(豊臣秀吉)が山名祐豊を攻め、生野銀山は信長の支配となる。以降、豊臣・徳川の直轄鉱山として栄える。 |
享保元年(1716) | 生野奉行所が代官所に変わり、以降28代の代官が着任する。 |
文久3年(1863) | 生野義挙(生野の変) |
明治元年(1868) | 生野鉱山が明治政府の官営鉱山になる。仏人技師コワニエら(24人)により鉱山近代化を図る。 |
明治5年(1872) | 神子畑、明延、中瀬の鉱山も官営になる。 |
明治9年(1876) | 生野鉱山寮馬車道(銀の馬車道)開通。 |
明治18年(1885) | 生野〜神子畑間の鉱石運搬専用道路開通(神子畑・羽渕鋳鉄橋設置)。 |
明治42年(1909) | 明延で錫鉱脈を発見、日本一の錫鉱山へ。 |
大正8年(1919) | 明延鉱山の選鉱場を神子畑に建設後に東洋一の選鉱場といわれる。 |
昭和4年(1929) | 明延〜神子畑間(約6km)をつなぐ「明神電車線」が開通。 |
昭和48年(1973) | 生野鉱山採鉱部門廃止。 |
昭和49年(1974) | 史跡生野銀山(シルバー生野)オープン。 |
昭和62年(1987) | 明延鉱山廃止、神子畑選鉱所閉鎖。 |
平成元年(1989) | 明延鉱山探検坑道(旧世谷通洞抗)オープン。 |
平成16年(2004) | 3鉱山エリアを「鉱石の道」と命名。 |
平成19年(2007) | 経済産業省の近代化産業遺産群に生野・明延・神子畑の鉱山関連遺産(通称:鉱石の道)が認定される。 |
開坑 鉱床に向かって、坑道を切り開くこと。 露頭 岩石や地層が地表に露出しているところ。 間歩(まぶ) 明治時代以前の小さな坑道。 鉱床 銅などの鉱物が特に集まったところ。 鉱脈 岩石の割れ目を有用鉱物が満たしてできた板状の鉱床。 灰吹法(はいふきほう) 石見銀山から生野に伝わった製錬方法。金や銀を鉱石などから鉛に溶け込ませ、さらにそこから金や銀を抽出する方法。 |
狸(たぬき)掘り 鎚(つち)とたがねで掘り進む江戸時代の採掘法。狸の巣穴のように狭く放射状に広がっている。 ズリ 採掘された鉱石のうち、資源として使えず廃棄する岩石などの部分。 スライム 鉱石、岩石などの砂より細かい泥状の物体。 グランビー鉱車 鉱石を運搬する車両。鉱車側面の転輪装置(車輪部分)がレールを昇って自動的に荷台部分を傾け、走行しながら鉱石を降ろせる。 |
ガンチャージャー 鉱山で使用する専用爆薬「アンホ」を、削岩機で開けた穴に圧縮機で装填する装置。 ケージ 立坑(縦の坑道)のエレベーター。鉱員、鉱石、ズリ、資材、鉱山車両などの運搬に使用された。 トロリー ロープウェイのような架線式の滑車。 シュリンケージ法 掘った鉱石を足場にして、地底から上に向かって採掘する方法。効率よく経済的かつ安全性が高い採掘方法。 |