カラミ石【生野】   マンホール【生野】
銅などを製錬する時にできたカスを固めたもので、鉱滓(こうさい)といいます。地元では「カラミ石」と呼んでいます。生野鉱山周辺の家の土台や塀、水路、 公園のベンチなどで使用されています。各辺数10cmの直方体に成形されたカラミ石は、重さ約100kgにも及びます。口銀谷地区の但馬口番所跡近くには カラミ石の井戸があります。
  生野の町を散策する際には、足下にも気を配って歩いてみましょう。マンホールには、旧生野町時代の町木「ドウダンツツジ」、同じく町花「リンドウ」、観光名所「魚ヶ滝」、そして史跡生野銀山の「金香瀬抗口」がデザインされています。

生野瓦【生野】   菊の御紋【生野】
明治9年(1876)に完成した生野鉱山新工場の正門は、昭和52年、シルバー生野(史跡生野銀山)に移転して保存されています。大小2組の門柱で、大柱は幅・奥行ともに1m、高さは4.6mあって、メートル法で作られています。コワニエによる設計で、明治政府の所有を示す「菊の紋章」が入っています。鉱石の道エリアには、他にも官営や皇室財産であったことを示す「菊の御紋」の入った施設が残っています。

生野の寒冷な気候に耐えられるように、普通の瓦より硬く焼いた瓦で、カラミ石と同様に生野特有の景観を造り出しています。通称「赤瓦」とも呼ばれ、赤褐色 の独特の風合いは、レトロな町をいっそう際立たせます。新設されたJR生野駅西口や、平成22年度に復元工事が行われた「旧生野鉱山職員宿舎」の一部には 復元された生野瓦が使われています。
 

明延鉱山住宅【明延】   羽渕鋳鉄橋【神子畑】
昭和11年(1936)頃に建設された北星社宅は現在も4棟が残っており、通称「長屋」と呼ばれています。3つの鉱山全てにこうした社宅群が建てられました。明延では7地区に次々と社宅が建設され、昭和28年頃からは最新鋭の住宅としてプレコン2階建、3階建の住宅が建ちました。北星社宅の景観は、国内でも他の地域に残っていない貴重なものです。
  神子畑鋳鉄橋と同じく、明治16年(1883)に始まった鉱石運搬用道路の建設時に作られた鋳鉄製二連の橋。「羽渕のめがね橋」とも呼ばれ、美しい洋式の橋です。平成7年(1995)に架橋時の姿に復元し、現在の場所へと移設されました。(兵庫県指定重要文化財)

復刻 宝山せんべい【明延】   岩津ねぎ【生野】【神子畑】
明延鉱山稼働時に購買会で、お土産として販売されていた「宝山せんべい」。閉山後は作られていませんでしたが、焼き印が保管されており、第5回一円電車ま つり(平成23年10月23日)に復刻しました。昭和30年代頃の明延鉱山と鉱石を運ぶ架空索道(ロープウェイ)が描かれています。あけのべ自然学校で販 売しています。
  岩津ねぎは、江戸時代に生野銀山の役人が京都からネギの種子を持ち帰り、鉱山従事者の冬の生鮮野菜として栽培を始めたことがきっかけといわれています。現 在では、博多の「万能ねぎ」、群馬の「下仁田ねぎ」と並ぶ日本三大ねぎとして、その名が知られています。朝来市の冬の特産品(11月下旬〜3月上旬)とし て、市内の道の駅、国道312号沿いの直売所などで販売しています。


生野踊り(盆踊り)【生野】   山神社(山神さん)
生野踊りは京都から移住してきた山師(江戸時代の鉱山経営者)が、盂蘭盆会の際の娯楽として、また、鉱山で亡くなった人への供養の盆踊りとして、都から踊 りの師匠を招いて振り付けさせたことが始まりといわれています。「尺八」「三味線」「太鼓」「くどき」で構成されている行列踊りで、明治時代にはこれらの 鳴り物の他に、「鐘」「小鼓」が加わっていました。
  日本の鉱山には山で働く人々の安全と発展を祈願して、山の神が祀られています。3つの鉱山も同様で、鉱山の神様である愛媛県の大三島に鎮座する大山祇神社 より分霊をいただき、山神社の社殿が建設されて御神体が安置されました。人々は「山神(さんじん)さん」と親しみを込め、毎年、春の大祭には鉱山も休業と なって「山神祭」が開かれ、立派な神輿が町内を練り歩きました。
また、各坑口の上部にも山神さんが祀られています。